西駒と「聖職の碑」

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■大正2年8月26日、中箕輪尋常高等小学校の西駒(木曽駒ヶ岳)への修学旅行登山にて、37名中11名の死者が出ました。
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新田次郎さんの「聖職の碑」で有名になったこの遭難劇はたいへん感銘深い物語になっています。

2011年8月4日(木)そのコースを辿りました。標高差1600m約10kmの8時間コースです。
現在の登山口は桂木場桂小場。標高はすでに1280m。
修学旅行登山の彼らのスタートは上伊那の小学校からはじまり、ここ桂木場桂小場ですでに16kmも歩いています。
ここで大休止をした時に、少年達は村のおじいさんと「雲の中に雷獣がる」との不吉な会話をします。
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今は、西駒にロープウエイがかかりそちらがメインになりましたが、江戸時代からはこのコースがメインルートでした。 すでに深山の雰囲気がただよいます。今日は曇りでガスっています。 
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高度はどんどんあがります。 少年達はまだまだ元気で歩いてようですが、私はここで相当へたりました。 4時間以上登りが続きます。 軟弱な生活をしていた私には苦しい。今日は天気も悪いし、誰もいないし・・・。
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胸突き八丁からは急こう配になります。このあたりで下山してきた3人に伊那小屋(彼らの宿泊予定地)のことを聞きますが、なにやらあやしげな答えをしてそそくさと下山してしまいます。
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この後、胸突き八丁を超えた頃に霧が出始めます。いそぎ伊那小屋(中岳と宝剣岳の間にあった)へ向かいますが、途中で霧は暴風雨へと急変します。 太平洋にあった低気圧が、韋駄天台風に変わり、北上してきたのです。
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実際、彼らが伊那小屋についたころは暴風雨となり、伊那小屋は屋根もなく石垣だけが残っている程度だったようです。
いそぎ茣蓙で屋根を造りますが、一人の少年が疲れと寒さで亡くなってしまいます。
パニックに陥った引率の青年団や少年は、赤羽校長の制止を聞かず、小屋を飛び出しばらばらに・・・。 今でも、胸突き八丁を終えると稜線に出ます。ここから尾根筋を縦走して、伊那小屋までは天気が良い日でも3時間は歩かねばなりません。
今日は、この稜線は基本的には天気が良かった。10日ぶりの晴れだとか。
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森林限界より下はガスっています。
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私は西駒山荘で小休止。小屋の留守番をしているおじさんとひとしきり話ます。
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今日は10日振りの天気だとか、この小屋はあの遭難がきっかけで大正4年に建ったとか。昼食は予約制だとか、ここのコマクサは植えたものだとか。 
いまでも伊那地方は小中学校の登山は盛んだそうです。 そうか! うれしいな〜。
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暴風雨に巻き込まれ、ばらばらになった青年と少年を赤羽校長はなんとか統制を取ろうとします。
その努力にもかかわらす、11名の犠牲者を出してしまします。残念ながら、赤羽校長も稜線を超え、樹林帯に入った直後に亡くなります。
このあたりの描写、新田次郎さんの真骨頂で、その壮絶な有様は、涙なくしてはこの本を読むことができません。
西駒山荘を超えてすぐに、稜線から西駒山群が望めます。あの山群の鞍部あたりに小屋がありました。 この間で11名の貴い人命が失われたわけです。 中央アルプスは花崗岩の大山脈なので、大きな石がごろごろしています。
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この自然石を使って、伊那教育委員会が「遭難記念碑」を造りました。 堂々と聳えていました。 それは立派なものです。
今回はこれを見たかったんです。 11人の犠牲者の為に合掌しました。
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西駒山荘から西駒山頂部までは、約3時間ず〜っと本当にいいところなのです。 晴れていれば・・・ね。
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〈濃が池〉
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〈馬の背〉
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〈駒飼の池〉
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〈西駒頂上部:伊那小屋があったと思われる場所〉 ここまで来ると、ここはロープウエイ登山者がたくさん! 
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久々に約8時間山を歩いて疲れ果てた私は、千畳敷カールへ下り、ロープウエイを使いました。
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駒ヶ根駅で、地元のおじさんと話したら、やっぱり西駒に学校から登ったとおっしゃっていました。
この遭難が起こったにもかかわらず、ず〜〜とこの集団登山が続いているとのこと、やっぱり素直に嬉しかった。
赤羽校長の志がまだ、伊那でも脈々と受け継がれているんだ。

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